
子どもたちの教育に携わるものとして、衝撃的なニュースです。
報道において、「いじめ」という表現を使用しているのが気になります。
いじめどころか犯罪では…
内容としては、
- 「ハゲ」「ボケ」「クズ」「カス」といった人格を否定するような発言
- 酒席で「もっと飲め」と強要
- LINEで女性教員に無理やり性的メッセージを送らせた
- 被害を受けた男性教諭の所有車の上に乗ったり、蹴ったり、車内で故意に飲み物をこぼした
- また、コピー用紙の芯でおしりをたたいたり、足を踏みつけたり、ひじで背中をグリグリ押す暴力行為
- 激辛ラーメンの汁を目や唇に塗りたくってきた
などといったひどい内容です。
これはいじめというレベルではなく、暴行や強要など犯罪そのものです。
学校で、生徒たち同士のいじめを防止しなければいけない立場である、教師が、それも複数で、行っていたということが信じられません。被害を訴えた、教師以外にも、複数の教師に対して、同様の行為を行っていたというのも想像を絶します。
もしかすると、非常に巧妙に、それも長期間、人目に付かずに、複数の人間が、複数の人間に対し、このような行為を行っていたのかもしれませんが、これほどの規模で、周りの誰も声をあげなかったのか、ということにも不安を感じてしまいます。
もしかして、そういう体質の学校ではないのか、など、よくない想像をしてしまいます。
朱に交われば…
仮に、周りが気づいていたとしても、声をあげられないということもあるかもしれません。恐怖を感じるかもしれませんし、次は、自分がターゲットになるかもしれません。
これらの行為を行っていた人たちも4人とももともと、そういう性質だったのかもしれませんが、関わるうちに、そのように流れていったのかもしれません。
あくまで個人的な考えですが、個性を尊重する時代の割に、趣味趣向・社会・流行・メディアなど、ものごとは、同じ方向に流れて行っているように感じます。
「これはこうじゃないとダメ」「これはこういうものだ」「今はこれが流行りだ」というのを押し付けられるのを日々感じます。
いつものことですが、このような事件があると、加害者や犯人を特定しようとしたり、ネット上にいち早く、顔写真などの個人情報を掲載しようという動きがあります(広告収入のため)。しかし、このような行為で、無関係の方が、さらなる被害を受けることもあります。いじめが許せないと言いながら、新たないじめを行うなど、そのようなことは決して起こってはいけないと思います。
理想的な教育機関と望み
わが子を教育機関に預けられる保護者の気持ちを考えると、昔は当たり前に信頼できた、保育園・幼稚園・学校・塾など専門的な機関への不安は感じずには、いられません。
大きかったり、有名だったりしても…ということですよね。
特に、公立小中学校など、任意での選択権のないものについては、何らかの外部の目はあってほしいものです。
報道によると、被害を受けた男性教師は、とても優しい方だったようなのですね。
目の前の子どもたちのことを考えると、休職という選択肢は、取りたくなかったのではないかと想像すると、非常に心が痛いです。加害者たちは、相応の罰を受け、反省してほしいと思います。
こういうことを言うのは良くないかもしれませんが、どんな人たちにも、失敗しても、再度チャンスが与えられるべきだと思いますが、このような方たちは、再度、教育の現場に復帰できないようにしてほしいと思います。
被害を受けた方には、一日も早い、現場復帰していただくことと、該当の学校がより良い体制へと変化することを、心より望みます。